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人は何故生きるのか?

人は何故生きるのか? などと大袈裟な見出しをだしましたが、その答えは簡単です。

何かとコミュニケーションをとるために生きているのです。

この世の中に、コミュニケーションでない出来事などありはしません。
つまり、人間を含む動植物や鉱物までも、全てはコミュニケーションで成り立っているからです。

何らかのコミュニケーションの表れが、結果として表現されているのです。
この世の中は、目に見えるもので表現されている出来事は僅かです。

世の中の不思議と云われている事実や出来事も、その背後に流れる法則を理解すれば、不思議ではなくなります。
不思議とか魔法とか呼ばれるものは、多くの人に理解と認知をされていない「法則」によって動かされているコミュニケーションのことを示します。

例えばテレビを知らない昔の人が、時代を超えてテレビを見せられたら、妖か魔術の類と受け取るかもしれません。
認知されていないからです。
今の時代でも、テレビの原理と構造を理解して一から造れる人など殆ど居ません。
構造と原理を知らなくても、使えるモノは使えるのです。
電波が共鳴するシステムを科学的に解明した人はいないけれど、意味が解らなくても使えるシステムは使うのです。
ましてや、常に構造を考えながらテレビを見ている人はいません。

まず誰かが何かを理解して、「その法則や構造を習得することが可能で再現性ある」と認知されたものを「科学」と呼びます。
だから科学と呼ばれているモノにも、全く間違って解釈している事実が多いし、科学者の「思い込み」だけで想像している現象や構造が多いのです。

多くの人が認知していても、本当の意味では当てにならない事は多いのです。
単に理解していないに過ぎません。
しかも、特定の科学者は権力者の飼い犬で、権力者の都合で事実を捏造しています。
世の中に「科学的」という嘘を振り撒いているのです。

コミュニケーションをとる上で大切なことは、嘘を吐かないことです。
嘘を信じると、整合性が取れなくなり、混乱するからです。
現在の世の中の問題は、意図的に振り撒かれた「嘘」によるものなのが多いのです。

実を言うと、この世の原理も法則も意図的に隠されています。
その秘密が公然の事実として知られると、権力者にとって都合が悪いのです。
権力者に従う人がいなくなるからです。
従う人がいなくなれば、その人達から搾取することが出来ません。
特別な甘い汁が吸えなくなるという事です。
だから秘密にして、常に情報操作もしています。

本来は理解できるモノを意図的に隠し、無知な民衆のままで過させようという方針に則って彼らは動いています。
本当の事が隠されているから、多くの人は悩むのです。
悩みとは、自分の中で「整合性」のとれない葛藤をすることです。
自分の中で「偽りのデータ」を真実として扱っていれば、整合性が取れなくなるのは当たり前なのです。

偽りのデータは、親や環境などからコミュニケーションを介して入力されたものです。

実は、心の問題は他者の意図に関わり無く、偽りのデータを真実や法則と勘違いしているところに端を発しています。
つまりは、全ては勘違いが原因なのです。

続く。

# by ctkabu | 2012-03-17 13:51 | 人生はコミュニケーション 

人生とは何か?

人生で大切なのは、コミュニケーションです。

なぜなら、世界や宇宙はコミュニケーションのために存在しているからです。
相手や対象の存在と、どれだけ適切で有益なコミュニケーションがとれるのか? これが全人類のテーマなのです。
宇宙のテーマもコミュニケーションです。
コミュニケーションは、手段ではなくテーマなのです。

コミュニケーションとは何か?

「何らかの情報交換(交流)をすること」です。
感情の共有も、心の交流もコミュニケーション。
自然の気象や樹々、植物や動物、石ともコミュニケーションがとれます。
乗り物やTVなどの機械ともコミュニケーションしています。

対象は何でも、どの様なモノとでも、コミュニケーションがとれます。

例えば、人はコミュニケーションなしでは数分と生きてはいけないでしょう。
常に、空気を吸入して生きているのですから。
これは、大気とのコミュニケーションなのです。

吸入した空気は、身体の中で必要な酸素などを取り込み、排泄と共に本人の情報で変化したモノを吐き出します。
多かれ少なかれ、人は常に大気に影響を与えています。
空気には大気の情報も含まれており、吐き出したものには、自分の情報が含まれています。
つまり、大気に自分の情報を与え続けているともいえるでしょう。

モノとのコミュニケーションはある意味意外と感じるかもしれませんが、感じ取れるものがあれば、コミュニケーションは成立します。
車など、道具はそのもの以外にも造り手の意志が関わっています。
道具や書物を介したコミュニケーションもあります。

このインターネットを通じたブログもそうです。

直接的なレスポンスがなくても、繊細に感じ取れる人もいます。
花々の繊細な感覚とコミュニケーションできる人もいます。

人は使用していない感覚が沢山あります。
何かの対象とコミュニケーションをしたいと感覚を研ぎ澄ませば、そのうち感覚が鋭敏になってきます。

相手が人間でも、「動物とか植物、物とコミュニケーションしたい」 でも感覚を研ぎ澄ます事に変わりはありません。

例えば、他国の言語に興味がない人は、他国の言葉を聴いてもBGMぐらいにしか認識しませんが、興味を持ち、習得しようと思っている人は、その言語の捉え方が違ってきます。
生きるために必要ならば、話せるようにもなるでしょう。

職人さんは使う道具と対象物との関係性に、感覚と神経を注ぎこむことで、超感覚ともいえる繊細な指先の技術を生み出す事が可能です。
身体と道具、素材とコミュニケーションしています。

コミュニケーションとは、「認識の度合いで変わるもの」なのです。
または、何に興味を抱いているのか?

それによって人生の指針(何とコミュニケーションしたいのか?)が決まります。

人は、常に何かとコミュニケーションをしているのです。

これを読んでいる人は、どのようなコミュニケーションを望んでいるのかな?

# by ctkabu | 2011-01-26 22:33 | 人生はコミュニケーション 

夢で見たこと。

夢の中で人と会話をした。
私の場合、夢の中での会話、特に知り合いと話をすることは例外に近い。

内容は覚えていないが、昔の仲間の「Ken」が 「はっきり意思表示しろよ!」 といつもの調子で熱く語ってくれた。
かなり年下にも関わらず、遠慮なく直球でスパッ!と意見してくれる人は自分の周りにいない。

「なにウジウジしてんだよ!」 というメッセージが伝わってきました。
「メッセンジャーとして、的確な人物を選んだものだ」と感じていたら、感動して涙がポロポロと流れてきました。

当時考えていたよりも、かなりいいヤツだったとおもう。
今なら、アイツと熱く語れるだろうな。

最近、漸く自分のやり方というか、表現方法などのテーマを特定できました。
今まで周りに合わせてテーマを決めようとしていた事に、新たに気づいた次第です。

周りに合わせて説明していては、いつも後手後手に廻ってしまいます。
これでは、まるで対症療法と同じようなアプローチです。
認知されていないジャンルなのに、待っていても始まりません。

自分のテーマは判っていたのですが、それをどうやって表現するか?と手を拱いていました。
そこへKenの直球が響いたわけです。

変化球など小手先の表現は辞め、直球でテーマをそのまま表現することに決めました。

個人セッションではないのだから、解る人にだけ向けて表現・発信すればよいのです。

今迄欲張りすぎていました。
誰にでも理解できるものを発表できるまで動きたくないと思っていたのだから。

こんなに簡単な答えを出すのに、数年も掛かってしまいました~。

マイッタもんだ・・・。

Ps. Ken ありがとう。

# by ctkabu | 2010-12-13 23:42 | メモ 

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